2016/05/05(木)第50回「いつか帰るところ 総集編」(Living Planet/レヴァリアース)



タイトル:いつか帰るところ 総集編
サークル名:Living Planet (Homepage) 作者:桜咲まことさん
ジャンル:レヴァリアース (系列作品「刻の大地」の内容も含む)
購入イベント:コミックマーケット85(2013.12.30) 傾向:本編アフターストーリー


※「レヴァリアース」「刻の大地」についての重大な作品ネタバレが含まれます。

 かつて存在していた漫画雑誌「少年ギャグ王」にて「幻想大陸」、そして同じく現存する「Gファンタジー」で「レヴァリアース」という作品が連載されていた時期がありました。作者は、夜麻みゆきさん。元来ドラゴンクエスト4コマ劇場を担当していた作家さんが描くオリジナルファンタジー作品ということで注目されており、両方ともラジオドラマ・ドラマCDとして製品化されるほどの人気を博していました。

「幻想大陸」が戦士のカイ、ダークエルフのジェンド、子供の十六夜による基本ほのぼの、時々シリアスな物語なのに対し「レヴァリアース」は魔法使いの少年・シオンと旅人の少年・ウリック、妖精のレムによる前半はコミカル、後半はシリアスな物語という形で色分けされ、それが後年「レヴァリアース」のアフタースターリーともなる冒険譚「刻の大地」へと繋がっていくわけです。しかし、これまで紹介した人物の中でただひとり、シオンだけが「刻の大地」には登場していません。

「レヴァリアース」のラストで、シオンが許容量を超えた魔法を使い死亡してしまうからです。

 本作はそのラストから「刻の大地」へ至るまで、ウリック――実際はイリアという名の少女が、どのように想いを抱いていたのかという物語が描かれています。

 シオンが亡くなって3年後、イリアはカイ・ジェンド・ウリックという旅人と出会う。カイと旧知の仲であったことを思い出したイリアだが、目の前でシオンを亡くしたショックから自分の名前を名乗ることはなく、半ば心を閉ざしたままでいた。どうしても思い出してしまうのは、3年前にシオンとレムと共に旅をした日々と「俺の代わ…りに、世界を、旅してくれ…よ…」というシオンの最後の言葉。その意味を考えていたイリアが眠りから目を覚ますと、カイたちとは違う街に身を置いていたことに気付く。慌てて走り出すイリア。その先には、忘れもしない見慣れた後ろ姿があった。 (「いつか帰るところ」本編より)

「レヴァリアース」本編ではシオンの死の直後に終劇し、アフターストーリーである「刻の大地」で登場してからも、カイたちと出会うまでのイリアの心情というのは詳しく描かれませんでした。その上「刻の大地」本編自体も未完のまま終了してしまったことで、今後も描かれることはないと思います。なので、この間にどんなことがあったんだろうとどうしてもモヤモヤが残っていた自分としては、ドンピシャな作品でした。

 シオンといっしょにたくさんしたいことがあったのに、なにも出来なかったまま別の道を歩んでいってしまった。イリアが背負うとてつもない後悔は後半まで回想以外笑顔を全く見せないことにも現れており、レムとふたり、シオンの遺骸を置いて最終決戦の場から去らなければいけないという悲痛なシーンが特に重々しさを感じさせます。

 その後一転して上記あらすじの最後のシーンへと繋がるものの、目の当たりにしたのは「シオンとウリック」が輝いていた時間。傍観者となったイリアは、再会の嬉しさと同時に「これから起こること」を知っていたことで複雑な感情を抱いてしまい、その感情をシオンにぶつけてしまいます。その気持ちがわかるだけにまた違った悲痛さが伝わってきますが、それでもやはりシオンはシオン。目の前のシオンから「自分が知っている」シオンの言葉を聞いたイリアの決断と彼女への"プレゼント"は、やはり彼が"いる"からこそだったのだなと思うことが出来ました。

「描かれない」――特に本作の場合、原作が未完のためそうなってしまったというのはとてももどかしいものでありまして、ある程度の結論が欲しくなってしまうものです。そんな中で出会った本作は「イリア(ウリック)のシオンの間でこういう物語があったかもしれないな」と思える物語で、読んでいくうちに自然と次のページへ、次のページへと本を捲っていました。260ページという大ボリュームもあって、読み応えは十二分。ウリックの、そしてイリアのその後が気になるという方に、是非とも読んで頂きたい一作です。

2016/05/01(日)第49回【特集】「きりん本舗」の飲料・食品同人誌シリーズ


タイトル:「珈琲番付1996-1997」「紅茶番付」「トマジュー番付」
     「米国飲料番付」「ニアウォーターFAN倶楽部」「のり弁当FAN倶楽部」
サークル名:きりん本舗 作者:空腹親方、よろづ山親方、みどり山親方
ジャンル:飲料・食料 購入イベント:1990年代後半~2000年代初頭のコミックマーケット
傾向:日本で発売されたありとあらゆる缶飲料を飲んで番付化。さらには世界の飲料や食品まで。


 1996年、「きりん本舗」というサークルが誕生しました。
 初の同人誌は「珈琲番付」。缶コーヒー200本を二人の親方(御夫妻)が飲み、様々な部門に分類した上で番付していくという実に豪快な企画で、その後もコーラ80本を飲み比べした「コーラ番付」、「珈琲番付」からさらに219本飲み比べて追記した「珈琲番付1996-1997」、飲料を飛び出してコンビニ肉まんにまで食指を伸ばした「コンビニ肉まん番付」などを皮切りに様々な「番付」シリーズを発行されていました。

 その後も様々なシリーズを発行されていたのですが、2001年末に700本ほどを収録した「珈琲番付2001-2002」を最後に活動を停止。現在は「親方のソフトドリンクランド」というホームページにわずかに面影を残すのみとなっています。

 自分が初めてきりん本舗さんの同人誌に出会ったのは、1997年の夏コミ。評論サークルをほっつき歩いていたところ「コーラ番付PLUS」という同人誌を見かけ、どういうものかと手にとって読んでみたら「炭酸度」「黒度」「甘度」「カラメル度」「薬臭度」というグラフがそれぞれの缶の傍らに描かれていて、あまりの細かさに脱帽。その時に「全部飲んでるんですか!?」と聞いた時の「飲んでるんですよー」という空腹親方の姿を今でもよく覚えています。

「コーラ番付PLUS」を例にとってみると、まず飲む環境を整えるため、

・缶コーラは冷蔵庫で十分に冷やしておくこと。
・缶を開けたら1分以内に飲むこと。
・色と炭酸度を見るため、少量をコップに注ぐ。
・味比べは、空腹親方が缶から直接飲み、よろづ山親方がコップから飲む。


 と規定されており、その上でまず「激闘!コカコーラ対ペプシ」という2大コーラメーカーを対決させたコーナーが設けられ「国産レギュラー対決」「低カロリー対決」「色物対決」「ソールドアウト(終売)対決」「輸入物対決」と続いた上で、さらにこの2メーカー以外のコーラを「国産コーラ部門」「輸入コーラ(大手デパート)部門」「輸入コーラ(大手メーカー)部門」「輸入コーラ」に分類……とんでもなく設定されています。「珈琲番付」でも「レギュラー」「無糖」「微糖」「炭焼き」など、「紅茶番付」に至ってはミルクティーでも「レギュラー」「デラックス」と分類するなど、部門付けからしてかなりの徹底が成されています。

 収録されているデーターは「コーラ番付PLUS」の場合「製造元」「商品名」「製造国」「内容量」「JANコード」と先ほどのグラフ、そしてそれぞれの缶の写真に、親方からのコメントと3段階の評価が付記されている形です。それぞれの味の特徴が書かれていることで実際に飲んでみたくなり、購入出来るものを実際に飲んでみると「本当においしい」「ああ、これは……」となったりして、読んでも楽しいし飲んでも美味しいという一冊に仕上がってます。あくまでも参考書的な一冊ではありますが、本書をもとにいろんな飲み物を捜すというのは楽しかったです。

 また、番付ではなくあくまでも飲んだ印象のみを特集した「FAN倶楽部」シリーズもあり、その中には各弁当店やコンビニエンスストア、スーパーマーケットで販売されていたのり弁当を扱った「のり弁当FAN倶楽部」まで発行されていました。

 のり弁当といえば、ごはんにおかかをかけて海苔を載せ、その上に白身魚フライとちくわの磯辺揚げ、きんぴらごぼうを添えて終了……かと思いきや、各店舗で様々な特色があり、千切りキャベツがついていたり、ハンバーグ・チキンカツ・卵焼き・ナポリタン・ソーセージつきという豪華版もあったりという発見も。中にはメインおかずがさつまいもの天ぷらというものがあり、店舗の御意見BOXに投函したらおかずが同価格内で見直されたというエピソードもあったり(その前後のもの両方が収録されています)、楽しめつつもそれぞれほぼ500円以内で色々工夫してるんだなーと知ることが出来ました。

 本シリーズでなにより驚くのは、その収集力と行動力です。一般的には「その地元・近所の」「店や自販機にある」「スタンダードな商品」というのを目にすることが多いわけですが、地産缶コーヒーやトマトジュース、輸入物となるとほとんど目にすることはありません。中でも「珈琲番付」で連続して最後まで横綱になった岩手県のとある缶珈琲があるのですが、岩手に行くかアンテナショップに行くしかない*1というぐらい親方衆の地元でも出回ってないのに何故見つけたのかと驚いたものです。*2米国飲料番付でも、9日間の旅行期間に70本を収集するなどとてつもなくパワフル。最終的には「珈琲番付2001-2002」で700本を収録するまでに至るなど、その収集力と行動力には舌を巻きます。

 収集し、飲み比べをし、そして記事にして入稿する。文字面で見れば簡単に見えますが、実際にそれを個人・家庭で行動に移すとなると大変なことで。期間からすると、1996年1月から2001年12月の丸々6年間。短そうに見えても、とんでもない労力を注ぎ込んだのでしょう。空腹親方こと小金井博司氏も「All About」での最後のインタビューで「ここまで来ると個人レベルでの本の制作は難しくなってきていると思います」と答えており、個人レベルで出来ることの限界を痛感させられつつも、その限界までの挑戦が今なお記憶に残っている一因なのかなとも思いました。

 かつて飲料・食料系ジャンルを席巻したサークルさんとして、今回は「きりん本舗」さんを紹介させて頂きました。なお、前出の「All About」ではその番付の一端を垣間見ることが出来るので、興味をお持ちの方は是非御覧下さい。

*1 : 当時はまだAmazonが存在しない時期から黎明期に番付が作られていました

*2 : そして実際に飲んでみたら美味しい。今現在はAmazonで購入可能です。

2016/04/30(土)第48回「PRINCESS & PRETTY PIG」(THE IDOLM@STER)

タイトル:PRINCESS & PRETTY PIG
サークル名:ぱ。 (Homepage) 作者:ハラヤヒロさん
ジャンル:THE IDOLM@STER 購入イベント:コミックマーケット83(2012.12.31)
傾向:食いしん坊姫と黒豚の危機(?)と愛情


 ゲーム「THE IDOLM@STER」シリーズには、PSP版「SP」から加入した「我那覇響」と「四条貴音」というアイドルがいます。響は沖縄出身のひとり暮らしで、犬や猫やハムスターや蛇などといっしょに居住中。貴音は古都*1出身で、銀髪紅眼という日本人離れ*2した容姿を持っているという、ひと目見るとあまり接点が無いようにも思えますが「アイマスSP」で同時期に登場したということもあってか、もうひとりの「星井美希」とともに行動していたり、ユニットを組んだりすることが多かったりします。本作はその中から、響の動物友達・ブタ太と貴音による4コマストーリーとなっています。

 海外長期ロケに行く響が動物たちをアイドルたちにお願いしてくじ引きで預かってもらうことになり、その中で貴音は「ブタ太」という黒豚の子供を預かることになる。名残惜しそうにしている響に対して「心配は無用です。大切な非常食、預かります」と言い放ちます。そう、貴音は端麗な容姿を持ちながら大食いという両極端な属性を持っているのです……*3

 ブタ太を連れて食べ物屋に入れば、チャーシュー麺、豚丼大盛り、ポークカツ定食を連続で頼みブタ太を戦慄させ、その時のタイトルは「他意はありません」。「嘘つけ!」と思わずツッコミを入れてしまいました。それからも大量の餌を盛られて困惑するブタ太の姿や、オウムのオウ助を預かった事務員・音無小鳥が事務所に連れてきた時「アーハヤクケッコンシタイ」と言われて慌てた姿に笑ってしまったり。貴音や響だけではなく、動物たちや貴音と響が所属する「765プロダクション」の面々が活き活きとしているのも本作の活力の源とも言えるでしょう。

 もちろん食べ物ネタだけではなく、貴音とブタ太の生活にもスポットが当てられます。貴音がブタ太を振り回し、かと思ったらアイドルの貴音がライブステージで凛々しい姿を見せている背後で、トコトコとブタ太が通り過ぎていってステージがざわついたりと、お互いかなりフリーダムなご様子。やがて響が帰ってくるとブタ太も響のもとへと駆け寄るわけですが、その後ブタ太が貴音に感謝してぺこりとおじぎをする姿には、ほんわかするばかり。エピローグでの貴音の新しい出会いと再会には、重ねてほっこりさせて頂きました。

 意外な組み合わせかと思いきや、実はお似合いなふたり(一人と一匹)というのも、普段は誰かと誰かという765プロの面々同士を組み合わせることが多い中で、響の家族である動物たちと絡ませる形にしたことで新鮮な印象を受ける要因だったかと。たとえ喋れないとしても、とれるコミュニケーションはある……最後の幸せそうな貴音とブタ太と響の寝顔を見て、そんなことを思ったりしました。

*1 : アニメでは京都と推定されていますが、実際には何もかもが不明となっています。

*2 : そもそも日本人なのかどうか……

*3 : ゲーム版「SP」ではプレイヤーであるプロデューサーからラーメンを複数杯おごってもらい、「2」ではプールの出店のものをたくさん食べ、アニメ版でもラーメン二郎ならぬラーメン二十郎のドカ盛りを平らげ、深刻な話になりそうな中でも響お手製のサーターアンダギーを平らげ、そして回転寿司の流れを断ち切るほどに食べたりといったところからお察し頂けるかと。

2016/04/28(木)第47回「いっしょにゴハン食べたいッ」(オリジナル)

タイトル:「いっしょにゴハン食べたいッ 総集編第1集」
サークル名:こもれびのーと (Homepage) 作者:もみじ真魚さん
ジャンル:創作(食べ物) 購入店舗:COMIC ZIN(2013年1月)
傾向:彼氏と彼女とごはんのお話。食べたいときに食べるから楽しい。


 料理好きの彼氏・晴彦くんと、ゴハンを食べるのが大好きな彼女・晴子さん。中華も和食も甘味も、ふたりで食べればきっとおいしい。

「ラブプラス」の寧々さんといっしょに日本列島を北は北海道、南は鹿児島まで自転車で走破するという「エクストリームラブプラスどうでしょう」を実行し、現在は世界一周旅行をしている「こもれびのーと」のもみじ真魚さん。「エクストリーム~」の「"日本"総集編」で「今度はアメリカ大陸横断」と描いてあって「これまた壮大なスケール!」と驚いていたら「カップルがいっしょにごはんを食べる」という意外な二人劇の作品でさらに驚き。この時まさか「世界一周に旅立つ」ことになるとは思わず、もみじさんにはさらに驚かされるわけですが。

 さて、本作は「彼氏と彼女がごはんを食べる」というお話に尽きます。いろんなものを食べたがる晴子さんと、晴子さんに付き合って食べに行ったり料理してあげる晴彦くんの二人劇は、少人数に集中していることもあってころころ変わる表情がとても可愛らしく、そこに「料理」という彩りが加わることでさらに二人の表情が輝くので見ているだけでとても楽しいのです。

 第1話のテーマは「ラーメン」。深夜1時という時間帯にラーメンが食べたくなった晴子さんは晴彦くんを誘って食べに行こうとする。とんこつラーメンに味玉とライスをつけて、チャーシューをごはんに乗せて味玉を割って食す……想像するだけで生唾が出てきそうな妄想を広げたけれども、店に着いてみればラーメン屋さんはスープが終わって閉店したばかり。絶望した晴子さんに晴彦くんが「袋麺を買って帰るか」と言ってはみたものの、晴子さんはさらに失望。でも、晴彦くんにはインスタントラーメンをおいしくするアイデアがあった。

 夜ラーメンというのは実に禁断な食べ物。言葉だけならまだ自制は効きますが、晴子さんの浮かべる妄想はとてもリアルで、スープがかけられチャーシューがのり、味玉がパカッと割られて黄身がごはんに浸みていく様は実にリアル。そう、本作はふたりの表情だけではなく、もみじさんがオールフルカラーで描かれる「食べ物」の描写がどれも実にリアルなのです。照りといい焼き目といい、まるで香りがこっちまで漂ってくるかのよう。これについては実際見て頂いたほうが早いかもしれないので、まるごと全編がPixivにアップされている第1話を是非御覧頂ければと。



 総集編である本作に収録されているのは第1~5話で、それぞれ「ラーメン」「イチゴ」「縁日」「ウナギ」「カニ」がテーマ。どれもただ素材をいただくのではなく、イチゴならパンケーキにしてみたり、縁日なら焼きそばやたこ焼きにプラスしてビールをつけてみたりと、それぞれブラスアルファしてあるのがニクいところです。それをふたりが美味しそうに食べて、さらに愛情を深めていくというのがもう。

 時には学生時代を振り返ったり、時には桜舞うベランダという風情の中でのんびり食べたり、時にはウナギ屋さんに効能をそそのかされた晴彦くんが晴子さんに白状させられたりと、微笑ましいばかり。ただ食べるのではなく「恋人同士で食べる」というシチュエーションがさらにおいしさを増幅させてくれるのです。食べ物の描写も恋人同士の描写も力が入っているというのが実にいいですね。Pixiv上の第1話のタグに「末永く爆発しろ」「閲覧者爆発会場」と描かれていることからしてお察し頂けるかと。

 現在は第9巻まで発刊されていて、総集編未収録の6巻以降は「おにぎり」「真夏ビール&からあげ」「サンマ」「お鍋」と、これまた美味しそうな上に身近なものばかり。おにぎりなんてごはん粒だけではなく、中の具のいくら漬けや鮭、海老天といったものまで描写が細かく実にそそられます。9巻には食材を提供してくれるアパートの大家・霧乃さんも登場し、今後もさらに晴彦くんと晴子さんのごはんワールドが広がっていきそうです。



 ふたりの心を彩るのは、おいしいごはんとふたりの思い出。そのふたりを傍らから眺めつつ、ほんわかと楽しめるシリーズではないでしょうか。これからも楽しみにさせて頂きます。

2016/04/27(水)第46回「松吉伝」(オリジナル)


タイトル:「松吉伝」「松吉伝2」
サークル名:みにゃもと (Homepage) 作者:みなもと太郎
ジャンル:創作(歴史) 購入イベント:コミックマーケット77(2009.12.31)
傾向:豪快だと思っていた作者の祖父が、没後に調べてみると実は……?


 みなもと太郎氏といえば、江戸時代を通じて描いている歴史大河コミック「風雲児たち」を描いている方。近年みなもと氏は同人誌でも作品を多く発表されていて、江戸時代前後を舞台にした作品「風雲児外伝」シリーズにとどまらず、破天荒なバクチ物や戦争物などが頒布されています。その中で、以前も触れましたが「よつばの。読書会」に参加させて頂いた際に「松吉伝」が持ち込まれていて、コミカルな絵柄に興味を持ったのが本作との出会いでした。

 みなもと氏の祖父・漆原松吉氏はみなもと氏が子供の頃から半日足らずでブランコを作ってくれたり、刀から作り直した包丁でウナギを捌いてみせたりと豪快だった。手ひどい悪戯をすれば文字通り灸を据え、またマムシが襲いかかってきたときにはマムシの頭を踏みつぶして焼酎につけてみたりと、少年・みなもと太郎の記憶にその姿が強く刻まれていた。だが、年を重ねるにつれみなもと氏は松吉氏と疎遠になってしまい、88歳で大往生を遂げる。やがて、遺品の整理を始めるみなもと氏と母。その中の写真帳を開くと、歴史の教科書で見たような写真が貼ってあった。傍らの文を読んでみると「甘粕正彦君、君のこのたび起こせし事件は――」とある。母に何故この写真があるのかと聞くと、甘粕氏は松吉氏の親友だったのだと言う。驚いて問い返すと、母からは「ひざに乗って遊んでいた」「近衛連隊」「(愛新覚羅)溥傑」という言葉が次々と飛び出してくる。歴史でしか知らない名前や出来事に、みなもと氏は疑問を抱く。「漆原松吉はいったい何なんだ!」

 正直な話、もう冒頭20ページからして破天荒。何故松吉氏が豪快なのか。何故一介の人物が清朝末期の王族や甘粕事件の首謀者と目される人物との交流があったのか。惹きつけられるには、あまりにも十分すぎる掴みです。親分も子分もない一匹狼な博打打ちの家に生まれ、娯楽が無いからと勉強に興味を持ち、十歳の頃には代用教員に。栃木・矢板小学校(旧制)を卒業する頃には英語を身につけ、作新学院中学(旧制)ではドイツ語・フランス語を学ぶ……読んでいくたびに「!?」と思ってしまうようなことが多く、しかもこれがまだ序の口だというのですから。

 中でも、強烈なエピソードが日露戦争についてのこと。日露戦争間近に松吉氏は明石元二郎大佐に呼ばれて日本から姿を消し、戦争末期に近衛連隊に復帰。その間のことは娘であるみなもと氏の母に対しても「わしの諜報活動を話せば日露戦の歴史が変わる」「死ぬまで言わんと明石閣下と約束したんだ!」と頑なに話そうはしなかった。今なお日露戦での諜報活動の規模は論争の的となっているようですが、国家予算が2億円前後(当時)のうち100万円(現在での400億円前後)与えられたというのが主な説として言われていることです。しかし、その当事者だったという松吉氏にみなもと氏の父が「死んでから話すなり好きにしろ」という条件つきで語られた*1のは「国家予算の1/150? それっぽっちで何が出来る」「実際の予算は国家の数分の一だ」……これだけでも強烈だというのに、政府レベルでの欧州中のマスコミ、果てにはロシアの諜報機関をまるごと買収出来たことが最大の効果を上げたとまで書かれているのにはもう笑うしかありませんでした。

 本作は、とにかく豪快の一言に尽きます。日露戦争を経て日本統治下の朝鮮での警察署長としての生活、プロレタリア革命主義者との関わり(主義者本人談・みなもと氏の母の証言あり)、甘粕正彦を介しての愛新覚羅溥儀との対面――といったところで、元々本作を連載していた雑誌が廃刊してしまい、御母堂も高齢ということでそれ以上の詳細は霧の中になってしまったとのこと。

 もちろん、壮大なホラだともとれます。ですが、あまりにもスケールが壮大すぎて「もしかしたら本当なんじゃないか?」とも思ってしまったりするのも事実。事の真偽についてみなもと氏は随所に幾度も「母から聞いたこと」「フィクションと思って下さい」と書かれてはいますが、本当なんじゃないかと思えてしまうほどのパワーがあるのは、ひとえにみなもと氏の語り口や筆力によるものだと思います。『ほんの一介の男性が、実は日本史の裏を駆け抜けていて……』と考えるだけでも面白い。みなもと氏の語り口がさらにその想像に没入させてくれて、読んでいて痛快かつ豪快に感じるのです。

 歴史の中における「もしかしたら」を強くかきたてられる、バイタリティにあふれた作品でした。

*1 : 祖父の死後、父から母へ、そしてみなもと氏へという又聞きの又聞きのため内容の信憑性について一切みなもと氏は責任を持たないという但し書きはされています。

2016/04/26(火)第45回「im@s punch」「mobam@s chop」シリーズより(THE IDOLM@STER)


タイトル:「im@s punch2 月の裏で」「im@s punch4 月うさぎの輪舞曲」
      「mobam@s chop2 月の裏で、踊る。」
サークル名:BOTTAKURI CLUB (Homepage) 作者:楓月 誠さん
ジャンル:「THE IDOLM@STER」「THE IDOLM@STER シンデレラガールズ」
購入店舗:メロンブックス秋葉原店
傾向:戦いを終えてもなお、少女たちは高みを目指す。そして……


「THE IDOLM@STER」という作品は実に多岐にわたっており、ゲームを中心としてアニメ、コミック、そして音楽といった媒体において多くの作品を発表しています。本作はPlaystationPortable用ゲーム「THE IDOLM@STER SP」*1という、765プロダクションのアイドル3組の中からひと組を選び「アイドルアルティメイト」という最大のアイドルイベントの頂点を目指していくゲームを題材としており、その中の「ワンダリングスター」バージョンからわがままお嬢様・水瀬伊織と、ライバルである銀髪の姫・四条貴音が主人公として描かれています。

 アイドルにとっての最大最高の舞台「アイドルアルティメイト」で貴音との戦いを制した伊織は、貴音を自らの言いなりにすることを決めた。翌日765プロダクションに伊織に伴われて現れた貴音の姿は、事務員・音無小鳥と同じ制服。「伊織のマネージャーを務めることになった」という彼女に春香や小鳥といった面々は浮つくが、プロデューサーは「貴音は本当にこれでいいのか」と彼女の意志を確認する。それでも、貴音の意志は変わらない。「勝負は勝負ですから。それに――私には、もう帰る場所がないのです」と言って。納得行かないプロデューサーが叛意させようとしていたその時、部屋の外では伊織が立ち止まって二人の会話を聞いていた。

――「im@s punch2 月の裏で」より


「ワンダリングスター」、ひいては「THE IDOLM@STER SP」(以下アイマスSP)本編において、伊織と貴音のストーリーは王道的なライバル物語が最も色濃く描かれています。財閥の末娘という立場を封じ、ひたすらに自分の存在を世間に認めさせようとする伊織と、生まれながらにして背負わされた使命によって、自分の存在を世に知らしめなければいけない貴音の激突は、お互いを高め合っていくことでそれまで被っていた「外面」という仮面を取り去り、そして最高最大の舞台へと導いていく。熱血的な作品が好きな自分としてはこれ以上無く熱いストーリーで、アイマスという作品にハマった一因でした。

 あらすじの通り、本作2作は「ワンダリングスター」伊織編のアフターストーリーです。貴音は961プロダクションから放逐され、本作では伊織の手により765プロダクションにマネージャーとして移籍。一方、伊織は貴音を傍らに置きながらもアイドルとしての日々を過ごす。貴音はアイドルへの想いは封印しながらも、ゲーム本編の最終盤のように伊織に対する好意は隠そうともしません。かといって伊織はそれを邪険に扱うのではなく、照れながらもちゃんと受け止める。ゲーム本編での二人の成長がふたりの関係を良い意味で変えているのが、とても微笑ましいです。

 その関係の変化は留まることなく、貴音の心に湧き上がるアイドルとしての想いを焚きつけます。でも、今の貴音は伊織のマネージャー。その揺れ動く想いに、伊織は気付いて自ら行動に移そうとする。その行動というのがなんともわざとらしいものではありますが、貴音に対して精一杯の言葉をかけた伊織の姿はとても頼もしく、また伊織らしい精一杯の行動なんだなと感じるのです。ゲームの中で楓月さんが伊織のプロデュースをどう捉えていたかが伝わってくるかのような熱い場面でした。

 2作目「月うさぎの輪舞曲」は、貴音がアイドルに復帰してからのお話。「月の裏で」が伊織が貴音に対して向き合った物語ならば、本作は貴音が伊織に対して向き合った物語で、トップアイドルとしてひたすらに歩んでいくことで伊織が背負う重圧や罪の意識が描かれています。

 栄光に輝くアイドルがいれば、必然的に栄光の影へと身を落とすアイドルがいる。絶望して震える彼女の姿を目の当たりにした伊織は表情を曇らせるが、トップアイドルであり続けるためにはその姿から目を背けることしか出来なかった。一方、貴音は再びアイドルとしての日々を送り、以前関わったスタッフにも様変わりしたと言われるほどに柔らかい印象を与え、新たな一歩を踏み出していた。しかし、迎えに行った先で貴音は伊織が重圧に苦しむ姿を目にしてしまう……

――「im@s punch4 月うさぎの輪舞曲」より



 アイマスSPのゲーム本編ではライバル以外のCPUアイドルは文字情報とパラメーター・順位*2でしか存在しませんが、もし現実であれば負けて泣くことになるアイドルもいるわけです。その姿を目にした「負けられない」立場の伊織は重圧と罪の意識を背負い、かつて使命を背負っていた貴音がその伊織に向き合う……「月の裏で」とは反転した立場で、なおかつゲームで貴音が背負っていた「負けられない」という重圧を今度は伊織が背負うことになるとはと唸りました。立場の反転というのは両者の立場を再確認させるのに格好のシチュエーションなので、伊織によって再びアイドルになった貴音がどう向き合うかに注目していたわけですが、貴音の「本気」の表情に思わずゾクッとしてしまいました。

 楓月さんによる貴音と伊織の「本気」の対峙は、まさに本作の見所。イメージだとはわかっていながらも、輝きを取り戻した貴音の立ち振る舞いと覚悟を決めた伊織の立ち振る舞いはとても綺麗で、かつ凄絶な鋭さが伝わってきます。楓月さんが二人に対して本気で向き合った結果が、この二人の表情なのでしょうね。だからこそ、エピローグでの貴音と伊織、そして"少女"の表情が浸みるようにこちらへ伝わってくるのでしょう。

 ただいっしょにいるのではなく、向かい合って互いを知り合い、時にはぶつかり合ってでも互いを、更にはまわりまで巻き込んで高め合っていく。ひたすらにライバルとして向き合った伊織と貴音だからこそ生まれた、実に熱いストーリーでした。読み終わってから、何度も読み返してしまったほどです。

 なお、両作品が収録されていた同人誌は総集編として発行されていた「IM@S PUNCH-LINE!!」を含めて販売が完了しており、現在は楓月さんのPixivページにて全ページが公開されています。「THE IDOLM@STER」という作品を好きな方、中でも伊織と貴音のプロデューサーに読んで頂きたい作品です。




 ここでもう一作品、コミックマーケット84で頒布された「mobam@s chop2 月の裏で、踊る。」も紹介させて頂きます。本作はmobageによる携帯電話用ゲーム「THE IDOLM@STER シンデレラガールズ」を題材にし「ウサミン星」から来たという17歳*3のアイドル・安部菜々を主人公に据えて描かれています。

 小さい頃から魔法少女作品が好きで、成長しても変わらなかった少女(?)・安部菜々。オーディションには何度も落ちていながらも諦められなかったのは、ただひたすらに小さい頃の夢を抱いていたのと、テレビの中で水瀬伊織と四条貴音が演じる魔法少女作品が大好きで、自分もそうなりたかったから。やがてビールで酔った菜々は自らの世界「ウサミン星」を描き始める。様々な設定をノートに思いつくまま書き連ねていく中で、その星がある場所を「月の裏」としていた。

――「mobam@s chop2 月の裏で、踊る。」より


 自分自身、モバマスはキャラが多いこともあってコミックやCDでしか追っていないのですが、菜々の曲「メルヘンデビュー」は電波ソングで、また菜々自身もあくまで17歳であることを押し通そうとするという強烈な個性を持っているため強い印象を持っています。一見したらイロモノなアイドルにしか捉えられかねない彼女を、楓月さんは「夢を抱くアイドルの卵」として描いてるのが本作の特徴。ただ一途に夢を追い、夢に破れ、夢を掴もうとする。そのための武器は「17歳」と「ウサミン星人」。手にしたことで武器にもなれば、背負わなければいけないものもある。もうひとりのアイドルの卵・池袋晶葉の視点から菜々が掴んだものを描き、二人が向き合う……ここまで書くと伊織と貴音が向き合ったのと同じように見えますが、伊織と貴音が「トップアイドル」というステージにいたのに対して、菜々と晶葉がいるのは、まだ「始まり」の場所。まだ「憧れ」に「憧れ」ているのに過ぎません。

 菜々と晶葉の憧れはとても純粋で、とても無垢です。しかし、それを奥付からの3ページが無残に打ち砕きます。これを目にした瞬間「月の裏で」「月うさぎの輪舞曲」の物語が頭の中をぶわっと駆け巡っていきました。モバマスとアイマスをリンクさせるには、そして「月」と「ウサミン星」をリンクさせるにはこう描いてきたか、と。前者2作とは全く違うアプローチながら、根底に流れる熱さは本作でも健在でした。

 最後に楓月さんが気になることを書かれていましたが、もう待つしかないじゃないですか。本作がどういう物語になっていくかを見ていきたいと、切に願います。

*1 : 全3種発売され、それぞれ収録されているアイドルとライバルアイドルが異なっています。

*2 : アーケード版やXbox360版でのオンラインモードでは通信対戦が存在。アーケード版は2010年8月31日でオフラインへと移行しました。

*3 : 自称。

2016/04/25(月)第44回「あしたの行方」(オリジナル)

タイトル:あしたの行方
サークル名:Eight Million (Homepage) 作者:HIDEさん
ジャンル:創作(コメディ) 購入イベント:コミティアin東京88(2009.5.5)
傾向:繰り返されてしまう夏休み前々日。でも、それはひとりだけじゃなかった。


 目を覚ました直人がカレンダーを見てみると、何故か今日は7月15日。昨日「もうすぐ夏休みの北海道旅行に行ける! カニ食べ放題に行ける!」とワクワクしながらマジックで15日に×をつけたのに、書いたはずの×は無かった。おかしいと思いながらもいつものように学校で友人やクラスメイトであるお嬢と過ごしたけど、眠って目が覚めたらまた15日につけたはずの×は無く、再び全く同じことが繰り返される。夢にしてはさすがにおかしいと思いながら同じ日を繰り返していた直人だったが、たった一つの些細な違いを見出す。前回の15日にお嬢のスカートめくりをしたとき、白だったはずのパンツが黒に変わっていたから。

 同じ日を繰り返す物語だと群像劇アニメ「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」が思い起こされますが、本作は群像劇ではなく「直人」と「お嬢」という二人に視点が絞られています。直人は夏休みから始まる北海道旅行のカニ食べ放題を楽しみにしているという、ごくごく普通でちょっぴりイタズラ好きな一般家庭の男の子。対して金髪(地毛)なお嬢は高飛車で、その呼び名のとおりお嬢様という対称的なふたり。いつもじゃれ合いのように突っかかったりあしらったり、先ほどスカートめくりをしたりされたりと微笑ましい関係が、同じ日を繰り返すことでさらにクローズアップされていきます。

 その繰り返しを、とても深刻に受け止める直人。でもその理由というのが「カニはいつ食えるの!?」という一点にあるということに「そっちかい!」と思わず突っ込んでしまいました。そう、あくまでも本作はコメディで、この後お嬢を巻き込んでの繰り返しからの脱出についても「高い場所から飛ぶ」というアニメ版「時をかける少女」のパロディをお嬢の財力で行ってみたり、次々と無茶なことをやらかしてはふたりしてボロボロになったりと笑わせてくれます。それが、ふたりの真剣な行動からくるというのも尚更。そんな最中に生まれたお嬢の直人に対する心境の変化も、破天荒ながらもとても真剣に受け止められるのです。

 直人もお嬢も、ふたりとも必死。だけど、お嬢の必死な想いが「もっと直人と一緒にいたい」という逆の想いへと移り、それでは出られないとわかっていながらも、これまでの直人とのやりとりからわかってしまうだけに微笑ましく思えてしまうのです。そんな想いなどまったくお構いなしの直人の天然な行動には突っ込まざるをえないものの、かえってそれがお嬢の想いを増幅させ、そして自然な形で成就ざせてしまうという……いやはや、頬の緩みと「おいおい」という突っ込みが止まりません。だからといって決して直人が鈍いというわけではなく、この出来事の原因についてもコドモな直人なりにちゃんと向き合おうとしているのも面白い。まだコドモな直人と、コイゴコロが芽生え始めたお嬢だからこその物語なのでしょう。全てが終わったあとも相変わらずなところもあったり、また一歩踏み出したところもあったりして、これからを感じさせてくれるとても楽しい結末でした。

 本編ではあくまでも「直人とお嬢の物語」に焦点を当てていますが、おまけではクラスメイトの中にはお嬢のライバルがいたり、直人がお嬢もライバルの女の子のことも全然わかっていなかったりとこれまたお嬢は苦労しそうな様子。最初から最後まで笑えた中で、ただ笑えるだけではなく微笑ましかったりツッコミたくなったりとポジティブ方向での緩急が印象深い一作です。

2016/04/24(日)第43回「LAST HOME」(オリジナル)


タイトル:「LAST HOME 1~4」「プラネタリウム」
サークル名:spica 作者:れんさん
ジャンル: 購入イベント:コミティアin東京(2009.5.5~2010.8.29)
傾向:かつて、人ではなかった人々の物語。


 放課後、ボーッと外を眺めていたユキは付き合っていた女の子との約束をすっぽかしてしまい、愛想を尽かされる。それでもバイクが好きでバイトもして、高校に通って日々を送るユキ。それとは別の場所で、黒いワンピースを着た少女が裸足のまま雨の中に佇んでいた。視線の先には、鯨幕で囲まれた建物と涙に暮れる人々。通りがかった女性は少女の姿を見て保護し、小さな病院へと連れて行く。老医師は女性から「私の時と同じ」と聞き、また老医師も「ワシらと同じ状況の可能性がある」と言う。少女が二人に介抱されている最中、その病院にユキが帰ってきた。そんな彼らには「かつては猫だった」というひとつの共通点があった。

 コミティアで本作を見かけた際、まず最初に表紙の色彩に惹かれました。今にも日が暮れそうな夕焼けの中で、空を見上げる少女・リン。裏表紙には少し離れつつも彼女を優しく見守るユキの姿が描かれていて、どんな物語なんだろうという興味が湧いたものです。

 猫というのは人なつっこいのもいて、外に出ても帰ってきたりします。そして、家にいる人達に寄り添ったり、時には話しかけるように鳴いたりもする。そんな猫たちが、いったいどんな想いを抱いているのか。不本意ながらも人の姿になった元黒猫のリンは、その想いを伝えたくて手紙を書くのですが、人になったからといって既に亡くなっていたおじいさんに届ける術はなく、人がいなくなった家には非情な現実も訪れて……それでも、ユキを始めとした「かつては猫だった」人々が、まだ無垢なリンを支えようとします。

 だけど、ユキもまだまだ高校生。リンを支えたり彼女の想いに直面することで、自分の心のざわめきに翻弄されたりすることもあります。猫から人間になれたことで、リンは抱いていたたくさんの想いをユキに吐露するけれども、受け止めきれなくてすれ違い、ふたりの距離が近づいたり、離れたりしていくのにはもどかしさすら覚えました。その過程でリンの「ある願い」も成就したものの、ユキが望んでいなかった残酷な形での成就という結果が切なかったです。

 それでも、ユキとリンには「家族」がいる。ユキやリンよりも長い年月人間であり、猫であった彼らの支えによって、ユキはかつて自分が人間になった理由を振り返ります。そこにあったのは、ただ純粋な「助けたい」という想い。今も変わらないその想いがリンを突き動かして、今度はユキ自らがリンからの想いと彼女に対する想いに向き合おうとする姿は、とても力強いものでした。どういった答えをユキとリンが得たのか、詳しくは伏せさせて頂きますが、ふたりがともに歩く姿からは最初に第1巻の表紙を見たときと同じ優しさを感じました。

 本編後の物語として「プラネタリウム」という小冊子があり、こちらは本編後にユキとリンがプラネタリウムに行くというほのぼのとしたお話。こちらの本には細工がしてあって、ユキがバイト先の店長からプラネタリウムの招待券をもらうというシーンがあるのですが、なんとそのページに実際に印刷されたプラネタリウムのチケットが同封されているのです。

最初読んだときは驚きましたが、遊び心があるのもいいなと笑ってしまいました。こういうサプライズギミックはとても好きなのです。*1

 人間になれたからっていいことばかりじゃない。言葉が伝えられる分、傷つけてしまうことだってある。それでも、いっしょにいたい。人がいっしょにいることの難しさと素晴らしさが描かれた物語でした。

*1 : かつて創作のオンリーイベントで、本の開き方面が表紙・裏表紙にいる男の子と女の子の指から延びている赤い毛糸で結んで閉じられていて、恋愛が成就した話を読み終えた後に最後に読んだ人が赤い毛糸を結んで物語が完結する、というギミック付きの本があったのですが、その時金欠で購入出来なかったのを今でも悔やんでいます……orz

2016/04/23(土)第42回「長門有希の喪失」(涼宮ハルヒの憂鬱)


タイトル:長門有希の喪失
サークル名:From dusk till dawn (Homepage)
作者:東出祐一郎さん(本文)・ニリツさん(挿絵)
ジャンル:涼宮ハルヒの憂鬱 購入店舗:コミック虎の穴
傾向:長門、朝比奈さん、古泉、それぞれとの別れ。


 2006年にアニメ化され、一世を風靡して今なお続刊中のライトノベル「涼宮ハルヒの憂鬱」。当時は2chのVIP板や各種ホームページ・ブログなどで二次創作小説が爆発的に発表され、様々なカップリングの恋愛モノやラブコメ、考察や果てには本編分岐で作者なりの終着点を描くなど多くの物語を読むことが出来ました。その場の中に「PINKちゃんねる」という掲示板群の「エロパロ板」というのがありまして、読んで字の如くいろんな作品のR-18な作品が多く投稿される場になっています。ところが「涼宮ハルヒの憂鬱」のスレッドについては非R-18の作品も多く投稿され、読み応えのある作品を読むことが出来ました。そこに投稿されていたのが、今回御紹介する「長門有希の喪失」、そして同時収録されている「朝比奈みくるの最後の挨拶」「古泉一樹の親友」です。

 ハルヒと交際を始めて3年。キョンはふと、長門有希という少女のことを綺麗さっぱり忘れていたことに気付く。彼女に抱いていた愛しさは、長門自身によって忘れさせられていた。気付いたきっかけは、ハルヒとのピロートーク。長門の話題が出ても曖昧にしか思い出せずにいたのに「有希にキョンがとられるかと思った」と言われたことにより、少しずつ、少しずつ思い出していくようになる。長門に対して愛おしさを抱いたきっかけを。SOS団の中で彼女と過ごした日々を。そして、キョンは行方も知らない長門有希のことを探し始めた。

――「長門有希の喪失」より


 長門有希という少女は生い立ちからして特殊なものでして、有り体に言ってしまえば宇宙人に作られた人工生命体です。最初は感情も希薄でコミュニケーションもとりにくかったのが、キョンたちとの交流によって少しずつ変わっていき、キョンへの感情をきっかけにエラーを発したことで似ているようで違う世界へとキョンを飛ばしてしまうほどにまで心が変化していく。彼女の変化は「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズの見所のひとつにまでなっていると思います。でも、あくまでもSOS団の中心ハルヒ。もしもハルヒとキョンが結ばれたら、ハルヒを監視するという使命を帯びた有希はどうなってしまうのか。

 本作では彼女がとった選択が描かれていますが、キョンへの想いを抱きながらも使命とハルヒとの間で揺れ動く様は、もどかしさすら感じさせます。でも、世界が壊れてしまう可能性があるのならば、そうせざるを得ないと納得させられるのも事実。キョンがその選択に対して疑問をぶつけてしまうのも、仕方ないことだとは思います。心が芽生えた有希が全てを押し隠した上で最後の望みを賭けた結果がこのキョンとの再会なのであれば、悲しいことではあるけれども、止まっていた時計が動き出したということで喜ばしくも感じられます。有希がキョンに対して紡ぐひとつひとつの想いは、有希らしく静かで心に浸みていきました。

 前出のとおり、本作には同時期公開の「朝比奈みくるの最後の挨拶」「古泉一樹の親友」も加筆修正の上収録されています。前者はみくるが卒業してからのやりとりが、そして後者は卒業式後の古泉とのやりとりが描かれています。両者に、そして「喪失」とも共通しているのは「卒業」と「別れ」。それぞれ様々な意味合いを持っていて、それぞれ未来人の使命を持つみくると、超能力者としての力を失った古泉が「その時」を迎えてどう言葉を紡ぐのか。三作共通して寂しい雰囲気を纏っていますが、その中で垣間見えるキョンと彼らの絆の強さが、そして3作全てに出てくるハルヒの存在と言葉が、寂しさだけではなくそれまで築いてきた「SOS団」というものの大切さを感じさせてくれました。

 他にも短編として、鶴屋さんとのミニデートを描いた「灰の雪」と、SOS団+キョンの同級生&鶴屋さんが再びコンピューター研が作ったゲームに挑戦する「涼宮ハルヒの統一」も収録。ニリツさんによる各作品の挿絵も実に場面に相まっていて、ラブロマンスあり、青春あり、そしてぶつかり合いありと実に読み応えがある一冊です。

 なお、現在も「長門有希の喪失」「朝比奈みくるの最後の挨拶」「古泉一樹の親友」に関しては原版が公開されていますので、気軽に読むことが出来ます。まだ原作本編は連載中ですが"もしも彼女ら、彼らが卒業したら"という世界を見てみたい方は一読をおすすめします。

From dusk till dawn of the dead:◆「涼宮ハルヒ」SS - livedoor Blog(ブログ)

2016/04/21(木)第41回「-PRIMURA-」(オリジナル)

タイトル:-PRIMURA-
サークル名:ゆきあ屋 (Homepage) 作者:あやめぐむさん
ジャンル:創作(SF) 購入イベント:コミティア89(2009.8.23)
傾向:古代遺跡に残されていた記憶媒体に残る、少女の映像。


 辺境の地・ヴァーリアで三千年前の高度都市「アグロネマンサ」の遺跡が発見され、発掘が開始してから半年。研究者・レギは最深部にまで辿り着いたが、固い扉に行く手を阻まれてしまう。仕方なくその一角にあった研究施設跡で調査をしていると、壁から一枚のディスクを発見する。レギがコンテンツを見ようとしたところ、17099ものファイルが記録されていた。戸惑いながらも手がかりのために再生しようとすると、モニターから一人の赤ん坊――「プリムラ」の映像が流れ始めた。

 何故高度に発展し繁栄していた都市が滅んでしまったのか。そして、何故少女の記録が残っていたのか。最初は研究のためにただ映像を見ていたはずが、都市のあらましとともに彼女の姿に惹かれていく姿はまるで親馬鹿のようで、さらには立体映像で少女・プリムラの姿を再現しようとまで。同僚も呆れて「もういない」という現実を突きつけられてしまうわけですが、赤ん坊の頃から一ファイルずつ収録され、少しずつ成長していくプリムラのことを見守りたいという気持ちも伝わってきます。

 突然訪れた「終わり」と、そこから始まる長い空白。レギが追おうとしたことは決して無駄ではなく、遠い遠い時間から渡されたバトンを受けるかのように結実していきます。「全てを見る」ことに意味があり、だからこそ任せることが出来るということなのでしょう。「"父"が遺したもの」、そして「"父"が受け継いだもの」。少なからず失ったものもあり、悲しさも込められた物語ではありますが、その出来事を経た末の最後の『彼ら』の笑顔には、こちらまで笑顔になるような暖かさがありました。

「見守ること」が鍵というのが意外ではありましたが、確かに人が生きていくのには誰かに見守ってもらうことが大切だと納得出来る物語でした。
OK キャンセル 確認 その他